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低髄液圧症候群の記録 ブログトップ
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⑱2010/7/17~21 退院 [低髄液圧症候群の記録]

ブラッドパッチをして 1週間後
退院することになった。

症状は微妙に残っていて
回復に向っているのかどうかも よく分からない状態だったけど
現時点で出来ることは もう何も無いわけで・・・

あとは 家に帰って様子を見るしかない。。。

ただ、一人で出歩くことも怖い状態だったので 実家のお世話になる。

外で頭が痛くなったり めまいが来たら どうしようと思うと
怖くて 一人で外を歩くことが出来ない。

とにかく 焦らず治す事を考えよう。
まずは家の中。
徐々に 外へ。

少しずつ 少しずつ 起きている時間を増やして行こうと思う。


⑰2010/7/14~7/16 [低髄液圧症候群の記録]

ブラッドパッチの後 3日間は安静期間。
トイレと食事以外は 仰向け状態で居なければならない。

・・・どの道、身体が痛くて 動く気にもなれなかったのだけど(汗)

でも
身体の痛みは 徐々に取れていった。

頭痛も 和らいでいると思う。

頭を起こした時に感じていた
「頭の中の物がザーッと落ちていく感じ」 は もう殆どなくなっている。

ただ、耳の違和感が 以前より強くなっていて
歩くと ズンズンと振動が響いてくる
周りの音や声が やけに耳につく。

笑い声や子どもの声、大きな声 早口
そういうのも キーンと響いてきて 頭が痛くなる。

出来るだけ 静かな暗いところにいたい・・・
そんな感じ。。。


⑯2010/7/13 ブラッドパッチ [低髄液圧症候群の記録]

頚椎からのブラッドパッチを受ける。

背中が開くように オペ着を後ろ前に着る。
かなり間抜けな格好だ・・・。

ストレッチャーに乗せられて、レントゲン室へ移動。
頚椎のブラッドパッチの場合は レントゲン室でモニターしながら行うらしい。

そういうこともあってか、
脳外科の先生以外にも 放射線科の技師さん達もいらしてて
・・・ギャラリーの多さに すごく緊張する。

首を丸めながら うつぶせになる。
(頭の中でのBGMは スカピンの「マダムギロチン」)
局所麻酔を打たれる。腰椎穿刺の麻酔よりも 痛みは強い。我慢できるレベルだけど。

そこからは・・・もう
痛いとか そういう感覚とは別の違和感の嵐。

針を刺された時は、グイグイ入ってくる針の衝撃に 恐怖でいっぱい。
しかも 何故か肩甲骨に鈍痛が来て それも恐怖。
その状態で 手の甲から採血。まさに まな板の上の鯉です。
そして 頚椎から血を入れてる時は 重苦しくて 何とも言えない・・・。

施術時間は たった40分程度のはずだけど
それよりも もっと長い時間に感じた。
それでも、終ってしまえば それなりに 大丈夫なレベル。

ブラッドパッチが終って 麻酔が切れてくると
段々 身体が痛くなってくる。
初めて起き上がったときは 肩甲骨部分に激痛。
一人では歩けなくて、看護婦さんに車椅子でトイレに連れて行ってもらう。

頚椎・・・神経が集まっているところへ施術しているので
神経が繋がっている箇所に痛みを感じる事があるらしい。
私はそれが肩甲骨部分だったようだ。
たしかに 神経痛のような痛みだと思う。

痛み止めを飲んで 少し楽になる。
でも 身体が重くて 思うように身動きが取れない。
結局 この日は一睡も出来なかった。

一晩中、スカピンのCDを聞いて過ごす。

⑮2010/7/4~7/12 [低髄液圧症候群の記録]

病院生活も4週目に入ったけれど、やっぱりまだ慣れない。

朝 目が覚めると 「ここは何処だろう?」 って一瞬分からなくなる。

相変わらず、症状は続いている。
ブラッドパッチする前に、治らないかなぁ・・・なんて
淡い希望を抱いていたのだけれど。

ストレスという表現が許されるなら
それがピークに来ているような気がする。
人前では明るく居られるのに、一人になると かなり落ちる。
不安が押し寄せてくる。


思ったよりも入院が長引いてしまったので
お見舞いにきてくださったり、何かを送ってくださったり
メールを下さったり・・・色んな方々が励ましてくれる。

「ポジティブな入院生活を送っていることと思います」
「笑って 病気をやっつけてね」

はっとさせられる。

この言葉に
自分はこういう人間なんだという事を 思い出す。
今は ”自分らしさ” を 失くし掛けているだけだ。

あの人達の心の中に 明るい気に満ちている自分が在る事を嬉しく思う。

本当はみんな
今のネクラ状態に 感づいているのかもしれないけれど・・・。


⑭2010/7/3 [低髄液圧症候群の記録]

ブラッドパッチの日程が決まった。
7/13 あと10日後だ。

その後も 安静期間が必要。
しかもブラッドパッチは 一回で治る確率は15%しかないもので
正直・・・施術後の見通しは立ちきらない。

どの道、暫くは
退院出来たとしても 自由に出歩くことは無理かもしれないと思う。

7/18・・・さやまの児童劇団の公演がある。
私は 冒頭ダンスの振り付けを担当していた。
振り渡しが終っていたのがせめてもの救いだけれど・・・
もっと一緒に踊りたかったな。。。
そして 最後まで見届けたかった。この目で。

髄膜炎の時にも思ったけど
どんなに思っても どうしようもないことがある。

髄膜炎のときは ねずみランドのオーディションを諦めたんだっけ。
忘れもしない。退院日が最終審査当日だった。
でも 私は会場に・・・行かなかった。
(行けなかった、行かなかった どっちかというと
「行かなかった」 の方が正しい)

病気になる前は
「たとえ何があっても、怪我をしても 病気になっても
 這ってでも会場に行って、根性で踊ってやるんだ!」 
って思ってたけど・・・
そんな事は 自分には出来なかった。


今回も、
12月の舞台出演と
2週間後の 子ども達の本番を観に行くこと。
この2つは 諦めなければならない。と思う。

ひょっとしたら もっと沢山出てくるかもしれない。
ダンスや芝居も 今までと同じようには出来ないかもしれない
そんな風に考えることもある。

そう思うと
カレッジの振り付けが出来て 良かったと思う。
自分の振り付けを踊ってくれる人が居る。
それは今、自分にとって 大きな希望であり、救いになる。


⑬2010/7/2 [低髄液圧症候群の記録]

2週間の安静期間を経て、結局 私の症状は治らなかった。

先生の話だと、私の髄液漏れは
頚椎からとの事だった。
写真を見せてもらうと 確かに
第一頚椎と第二頚椎の間に 白いもやが掛かっている。

この「髄液漏れ」は 色んなことが原因で起こる(可能性がある)らしい。

一般的なのは交通事故などによる外傷
あとは 過去に受けた腰椎穿刺の箇所から漏れてしまう とか
しりもちの衝撃、出産時のイキミ・・・etc

私の場合 交通事故などの経験も無く
発症直前に 大きな衝撃を受けた経緯もない。
ダンスライブには出てたけど・・・スローバラードだから それが原因とは考えにくい。
(あれが原因だったら、全国のダンサーさん皆、発病しちゃう)

ただ
過去に腰椎穿刺の経験が4回ある事
ダンスをやっている事
この二つのことから、腰椎部からの髄液漏れの可能性を疑われたのだけれど

結局は 頚椎だった。
なおさら、なぜこんな所から漏れてしまったのか・・・疑問だ。
ちなみに 腰には何の異常も無く 椎間板も綺麗だったらしい
(ダンサーとして 嬉しい限り)


私の場合、2週間の安静で 自然治癒していない・・・という事で
髄液漏れの箇所にフタをする・・・という施術を提案された。
ブラッドパッチ(硬膜外自家血注入)というもの。

文字通り、硬膜外に自分の血を注入するもので
まぁ・・・かさぶたを作るような感覚らしい。
http://www.npo-aswp.org/patch.htm

ここで、どこからブラッドパッチを施すか・・・という確認をされた。

腰椎(腰)からやるのが一般的。
でも私の場合、漏れているのが頚椎だから
腰椎から血を入れても 頚椎まで流れていくかどうか微妙だという。

だったら 頚椎(首)から入れたほうが 確実・・・
けれど、頚椎からのブラッドパッチは 腰椎からのそれよりも
若干 難易度が上がるそうで・・・しかも
この病院では 頚椎からのブラッドパッチは経験が無いとのこと。
やるとしたら、私が初患者。
そういう事もあって 先生もかなり慎重な物言いをするしかなく。
「これは 手術と同じ扱いと思ってください」
正直 ビビる。。。

でも、この病院は設備も整っているし
頚椎からの検査技術に優れているので 大丈夫だろう
と聞いて、頚椎からのブラッドパッチを受けることに決める。

正直 術中どれくらい苦痛なのか 術後はどんな状態になるのか
まったく想像がつかない。
でも 受けられる治療があるというのは 幸せなことだと思う。
それは 治る可能性があるということだから。

これは あとから実感したことだけれど
私はラッキーだ。

すぐにこの病名に辿り着いて
すぐに入院できて
入院中に ブラッドパッチを受けられた。

・・・本当に幸せな患者だ。


⑫2010/6/25~7/1 [低髄液圧症候群の記録]

相変わらず、1日2回の点滴。
調子が良ければ シャワーや公衆電話に行くこともOKになった。

シャワーに入って 髪の毛乾かして・・・だいたい20分くらい掛かる。
その20分の最後の方は 頭が痛くて かなりしんどくなってくる。
終るとベッドに倒れこんで しばらく起き上がれない。
そんなに辛いなら シャワーを辞めとけば良いのだけど・・・
体がベタベタするのとか 頭が痒いのとかには 耐えられない。。。
・・・こういう感覚が出てきたという事は 少しは良くなっているのかも と思う。

点滴台を杖代わりにして、公衆電話にいく。
まず、
派遣会社に電話する。
私が電話を掛けられない状態だったので ずっと母を通して連絡を入れていた。
派遣の営業さんを通して、派遣先の方々からの言葉を聴く。
業務フォローをしてくださっているとの事。
復帰を待ってくださっているとの事。
早く戻って欲しいけれど、焦らずに治して欲しいと言って下さっている事。

聞いていて 涙が出そうになる。
突然 こんな事になって 契約を切られる事も覚悟していた。
今でも 「仕事をする」 という生活に戻れるか分からない状態だけれど
それでも 待っていてくださる という その気持ちに
感謝という言葉では言い尽くせない感情が沸いてくる。。。
あの場所に 戻りたい。
強い意志で そう思う。

そして、12月に客演をさせて頂く予定だった 劇団不協和音の代表者の方へも連絡する。
おそらく、今年は無理だ。芝居もダンスも。
希望は持ちたいけれど
自分の身体だから なんとなく分かることもある。
たとえ いますぐ退院できたとしても・・・
今の私が このまま12月の作品を目指すのは とても無責任なことだ。

私にオファーして下さった代表者様・・・
当て書きしてくださっていた作家さん。
本当にごめんなさい。

そんなこんなで
・・・先生から 最初に言われた 「2週間」 の期間が過ぎた

大体の人は この2週間の安静で 回復するとの事だった。
でも
私は 治らなかった。


⑪2010/6/19~6/24 [低髄液圧症候群の記録]

1日2回の点滴をして あとは ひたすら横になる日々。
トイレと食事以外は 起き上がるのは禁止。

髄膜炎で入院した時は、日に日に良くなっていくのを実感したものだけど
今回は まったく その実感を得られない。

寝ていると だいぶ楽。
だから 「治ってきたかも」 なんて嬉しくなって
でも
トイレなどで起き上がると 症状が出てくる。
そのたびに 「やっぱり治ってない・・・」 と 気持ちも沈んでしまう。

先生から最初に言われた 「あまり無い病気」 というのは
本当なのだと思う。
看護師さんも 「年に2~3人 いるかいないかです」 って言ってたし。
実際、私もこんな病気があるなんて 知らなかった。
だから・・・先の予測がつかない部分がある。

毎日、インターンの先生が 私の様子を聞きにきてくれる。
でも うまく答えられない。
頭痛が無い日は耳鳴りがしたり
耳鳴りが治まっている日は 頭痛がしたり
耳鳴りの種類も、高音のときもあれば、ボーっとした低音の場合もある。
症状が ひとつずつ減っていく・・・というよりは
日によって 出てくる症状も、その重さも違う・・・
という感じだ。

私の言葉を聞いて、困ったような微笑を残して 先生が去っていく。
そんなやり取りが繰り返された。

何かを頑張って 早く治るならば いくらでも頑張るから・・・と思う。
誰かに祈って 早く治るなら、いくらでも祈るから・・・と思う。

そんな風に焦っていた時、ある看護師さんが こんな事を言ってくれた。

「今は休むことが治療だからね。頑張らないで 堂々と休んで良いんですよ。」

人によって、病気の人への励まし方は色々あると思う。
この闘病中、一番たくさん頂いた言葉は
「頑張って、早く良くなってね」 というもの。
嬉しかった。
それは 自分自身の強い願いでもあったから。

だから 私は 何かを「頑張って」いた。
暗いことは口にしない。
「すぐに治るよ」 と自分でも言い続けていた。
でも、その頑張り方は あの頃、自分を追い詰めていたように思う。
自分の存在に 後ろめたさを感じて 押しつぶされそうになっていた。

その看護師さんの言葉で、気持ちがすごく楽になった。
この頃からかもしれない
自分の目標は 「早く良くなる」 事から
焦らずに病気と向きあう」 に変わっていった。


⑩2010/6/18 不安定 [低髄液圧症候群の記録]

入院になってしまった。

緊急入院なので なにも自分では準備出来ず
3日前に、会社に行った時と同じ持ち物しか無い。
ケータイ、筆記用具、メイク道具。etc
正直 今の自分には 使う必然性の無いものばかりで悲しくなる。

中には、今度ワークショップでやろうと思っていた内容を書いたメモ書きもある。
劇団不協和音さんで、やろうと思っていた。
2月から講師をさせて頂いてきて、あと2回 残っている。
だから、めいっぱい楽しい内容にしたいと思っていた・・・のだけど。

狭山カレッジアクターズさんのダンスも 振り付けは終っているけれど
殆どレッスンを見てあげられていない状態だ。

会社の業務だって、本当は今週中に処理しなければならない案件があった。
誰かが代わりに・・・自分の分と、私の分とを抱えることになる。

中途半端な事が沢山ある・・・。

先生の話だと、最低でも2週間は安静が必要だということだけれど
でも・・・2週間で退院できれば きっと まだ取り戻せる。

私は 体力もあるし、きっと2週間も待たないで 回復できるんじゃないか。

この頃は 根拠無く ポジティブ思考に走っていた。


⑨2010/6/17 入院 [低髄液圧症候群の記録]

病院へ検査結果を聞きに行く。
母の運転する車の中で 座っているのも辛くて、終始 シートを倒して頭を横にする
駐車場から待合室へ 自分で歩く振動が頭に響く。
待合室でも、頭を起こしていられない
申し訳ないけど 二人分のスペースを使わせて頂いて
体を横にして過ごす。それでも気持ち悪い。

MRIの結果は やはり「異常なし」
でも 頭痛がどんどん酷くなっている事と
「起き上がると、頭の中でザーッと何か落ちていく感じがするんです」
という まっつぅ語に 先生は一言。

「あまり無い病気だけれど、低髄液圧症候群という物の症状に似ています」

腰椎穿刺で すぐに調べることは出来るけれど・・・どうしますか?」

腰椎穿刺・・・は 過去に何度かやったことがあるから知っているけれど
それなりに「痛い」検査。多少リスクもある。
(時々 「大人でも泣くほど痛い」 という人もいるけれど・・・
 個人差があると思う。私は 「ちょっと堪えれば大丈夫」なレベルです)

嫌だなぁとは思ったけれど
原因が分からなければ 治療も受けられない。
「お願いします」 と答える。

検査の時に 看護婦さんに 「体 柔らかいねぇ」 と褒められる。
(腰椎穿刺の時は体を丸めるんです)
・・・そう、何日か前までは 踊っていた人間ですからね・・・
ひょっとしたら 当分は踊れなくなるんじゃないかな・・・と頭の片隅で思って
でも
大丈夫、大丈夫 と自分で自分に言い聞かせる。

検査中、先生がポツリと一言
 「やっぱり、髄圧が低いね・・・

検査が終ると すぐに点滴が繋がれた。
一時間ほど 検査室のベッドに寝かされる。
ボーっとする意識の中で 色々考える。

薬で治る病気なのだろうか。
通院治療するにしても、こんな所まで通えるだろうか。
医療費は払えるだろうか。

仕事はどのくらい休むことになってしまうのだろう。
12月の客演予定の舞台は・・・どうしよう。
ダンスは続けられる?

髄膜炎の時も そのほか色々・・・
自分は両親に心配かけてばかり。
自分が嫌になる。

なーんて ぐるぐる 考えている所に先生がやって来て こう言った。

「入院しましょう」

やっぱり こうなっちゃったか・・・と思いながらも
しばらく 言葉が出てこなかった。


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